ガミガミお母さんとセラピストの共通点

ガミガミお母さんとセラピストの共通点

中毒患者さんの施設では、非常に貴重な体験をさせてもらっています。昨日はセラピスト6人と、私ともう一人、馬のプログラムをやっている人が集まりました。素行が悪く他の人たちに迷惑をかけている、麻薬患者さんのホセを取り囲む、というミーティングに立ち会うためです。

色々と思うことはありますが、敢えて強烈に一つ感じたことは、どうして人はそこまで言語を信用しているのか?ということでした。言葉で伝わる、または言葉で理解できると思っているためか、非言語をあまり見ていない。そこに大いなる疑問を感じました。

私の目にはホセは恐怖に取り込まれているように感じていました。なぜなら、Tシャツの上から見ても、彼の呼吸の状態が、明らかに目に見えていたからです。早く浅い呼吸。それに伴ってコントロールできずに次々と出てくる暴言の数々。その姿はまるで、コーナーに追い詰められた小動物が、牙を向いて唸っているようでした。なので私は彼の言葉の意味など、あまり重要視せずに聞き流していました。

ところがセラピストたちは違いました。何を言っているかに気を止め、そしてその言動を変えさせるために、言葉を駆使して説き伏せている。私にはホセが助けてくれと叫んでいるように思えていた光景は、彼らにはどうも違って映っていたようでした。

途中、私にも意見を言う場があったので、「専門家でもなんでもなく、ただ毎日言葉を使わない動物たちと関わっているので、ホセが何を言っているかというよりも、ボディーランゲージの方に目を止めています。ホセ、あなたの浅くて速い呼吸は、あなたが言葉で説明しているのとは裏腹。私には恐怖に包まれているように見えているのだけど?」と、セラピストたちの前で言いました。

した。キッとなってた彼の目が一瞬緩み、私と目が合いました。私は続けました。「なので彼に必要なのは、恐怖の根源のトラウマを、彼自身で癒す方法を手に入れるサポートに思えます」と。

その言葉は、彼が吐いていた言葉の数々の100分の1にも満たなかったかもしれません。でも私にはその言葉が、最も彼の本心だったのではないかと思えました。

でもセラピストたちは、どうもそこにはピンとこなかった様子。その後も、彼を言葉でコーナーに追い詰め続けていました。ただ「あなたのことを思っている」とか「あなたは本当は良い人なんだよ」とか、子ども相手だったら、「おじさん、おばさん、それって本心じゃないでしょ」って見破られてしまうような、甘ったらしい言葉をところどころに散りばめながら。

そう言っている自分自身をころっと騙せるかもしれませんが、魂から助けを必要としている人に、そうした言葉がけで信頼を得られるとは、到底思えないのです。本当に助けが必要な人たちは、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っているように思います。そうした人たちにかける、気やすめの言葉には、一体どんな意味があるのでしょう。

そうこうするうちに、私の目にはホセは過呼吸になり、手さえ微かに震えているのが、無視できないほど明らかに見えてきました。それでもセラピストたちは、自分たちの(こうであるべき)という思考のまま、彼との対話を突き進んでいるように見えました。

私は身体的な感覚にすごく敏感なので、見過ごしてはいられない状態になりました。そして、一瞬の沈黙のタイミングを見計らって、「すみません、ちょっと失礼します。」と言ってから、「ホセ、私を見て真似してちょうだい。」と言って、脈を自分でとるように言い、彼に息を深く吐かせて、呼吸を整えてもらいました。その後、彼はだんだんと落ち着いてきて、ミーティングは終了しました。

彼が退席した後、残った専門家たちは、もし彼が他の患者さんたちの迷惑になる言動が続いた時には、どのような罰を与えるか話し合いを始めました。

この一件も然り、昨日私が担当した、自閉症ぎみで人との関係を結べないと、セラピストたちやカウンセラーたちから、お手上げになっていたトムも然り、セラピス色々な案が出てた後、「すみません、甘いかもしれませんが、統計では、どうも罰があれば人は正しい行動するようになる、ということではないようです。私には彼は恐怖に怯え、助けを求めている人に見えましたが、違いますか?」と同意を求めると、みなさん大きく頷いていたので、「提案ですが、彼との誓約書を作った後は、誓約を破ったらこんな罰を与える、というのではなく、一回はあなたの良心を信頼する、と一度だけ敢えてチャンスを与えてみたらどうでしょう?そしてもし、誓約を破った場合は、またこうしたミーティングを設け、その時には自発的に考えてもらった罰と、施設側の考える罰とを調整して、ネゴして決めたらどうでしょうか?」と、ダメ元で言ってみました。

セラピストたちは一瞬考えた後に、それは良いアイデアだと同意してくれたので、ホセには一度チャンスを与えることになりました。

トたちって一体なんなの?ということを学んでいるのでした。ちなみにトムは私の昨日のレッスンでは普通の若者でした。

授業をまじめに聞かない生徒が悪いと、生徒の問題にしている先生や、子どもが言うこと聞かないと、いつもガミガミと小言を言っているお母さんや、自分がお手上げになると、この人は感覚障害だとか、自閉症気味だとかレッテル貼ってるセラピストたちには、どうも共通している点があるように思えてなりません。

相手の立場になって、自分のジャッジメントを取り除き、相手を深く観察し理解し、その人の今いるところから、一歩前に出られるお手伝いに徹する、という気持ち。それが欠けてたら人を助けたり、育成するのは難しいかも。なんてことを思いました。

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