次世代テーマ6:喝!

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※ こちらの記事では、旧ブログ『学力は全米トップ0.1%〜秘訣は幼児期の教育:次世代ブログ(2007年)』の内容をそのまま公開しています。

突然、渇モードに入った私、、、今日は、というか、今日も言いたい事を言わせていただきまひょ。

私は以前こんなことを書きました:

 
私たちの言語教育のモチベーションは・・ 夢は・・ ビジョンは・・「息子が将来、様々な言語を使いこなし、世界の国々の人たちと世の中を良くするために何かの活動をする」 ということです。

政治家になったっていい。

環境問題の活動家になったっていい。

科学者でもいい。

教師でもいい。

ジャーナリストでもいい。

パン屋さんでもいい。

何になったっていい。

そう、パン屋さんでもいい、と書きました。

 
そして、これを読まれた「私はパン屋です」という方からメールをいただきました。

「将来何になってもよい。ジャーナリスト、科学者、教師、政治家、パン屋でもよいとおしゃっていましたね。パン屋でもよいのですか?大企業のパン屋(山崎パン、第一パンとか)でなく、町の小さなパン屋でもいいんですか?その理由を教えていただきたくメールを致しました。」

なんで、町の小さなパン屋さんじゃだめなんですか?そして、なぜそれを私がパン屋さんに説明しなきゃいけないのですか?パン屋はあなたでしょ。パン屋やってて、人の役に立ってると思うことはないのですか?

長い時間をかけて作ったパンを数百円のお金と引き換えにパン屋さんは交換してくれています。パン屋さんがパンを作ってくれなかったら、私たち消費者は自分でパンを作らなきゃいけないんだ。もし自動のパン焼き機を持っていなかったら、そしてパン屋さんがパンを作ってくれなかったら、私なんてパンを食べる術はないですよ、ホントに。

 
さて、ここから早口になります。

ベンジャミン・フランクリン(早口なのでこの人は誰かを説明するのを省きます。
その代わりリンクをつけますね⇒ココ

この方がこんなことを言っていました。「貧しいのは貧乏だからではなく、貧乏を卑屈に思う気持ちが貧しいのだ」正確な翻訳は忘れましたが、私の記憶によるとこのような内容です。

パン屋だろうが、商社に勤めてようが、便所掃除が仕事だろうが、それをどう受け止めてやっているか、という自分の気持ちが問題なのだと思います。だから、パン屋でもいいのか?という問いは、私にではなく、あなた本人、そう、自分の内に問いかけるべきです。「なぜ自分は、小さなパン屋じゃだめだと思うのか?」って。

 
昔、私は画廊の経営をしていました。その時に南米から移民してきた、マリアというお掃除のおばちゃんを雇っていました。私はマリアから、とてもたくさんのことを教わりました。

掃除の仕方や整理の仕方もさることながら、私がマリアから教わった最も大切な教えは、人間の尊厳、そして良い意味でのプライドでした。彼女は自分のやっていることにプライドを持っていました。

卑屈さは微塵も無く、彼女が掃除をしている時は「自分のお役目をきちっと果たす」という姿勢から出る存在感から、雇用者であった私でも、彼女の邪魔をしてはいけないという雰囲気を醸し出していましたので、彼女が仕事をしている時は、話かけたりできませんでした。

 
メールをくれたパン屋さんの彼女は、自分の子どもはパン屋にさせたくないそうです。それは人の人生だから、私にはどっちでもいいことだ。

なので、それについては何も言うことはありませんが「天は人は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と福沢諭吉さんがおっしゃいましたが、これは人間は平等である、ということだと思うのですが、私たち人間が勝手に持っている観念が、誰が上で誰が下かというジャッジメントを作ってるのではないかと思うのです。

親が勝手に持っている観念で、子どもの人生を決めちゃうの?前世代ブログでは、その観念というのが問題だということを何回か書いてきました。

例えば⇒ こちら:シミと子育て

 
それにしても、私はジャーナリストの方がパン屋より偉いなんて、ちっとも思わないぞ。政治家の方が掃除のおばちゃんより偉いなんて、全く思わん。でも、世の中には勘違いしている奴がたくさんいることは確か。オホホホ〜って、偉そうにしている大企業の重役の奥さんたちが、偉そうにお金を払っている光景は現実にある。ホントにある。

日本のいいところでもあるし、悪いところでもあると思うんだけど「お客様は神様です」という日本の環境だと、数百円のパンを買うのに、買ってやってるという態度をする人もいるでしょう。

でも「お金を払ってやってる人」と、「パンを作って売ってやってる人」は、正当な対価でそれを交換しているんだから、お客とは対等な立場だって、私は思うのです。

どっちが上でもどっちが下でもない。

 
さて、、、

私は自分の息子が何になろうと、自分にできることで人の役に立つ人間になること、そして、それが息子本人も幸せになれること、それを“自分の力で見つけて”くれればいいと思っています。なにをしたっていいの。とにかく私は、彼が私たちの子どもとして存在してくれているだけでありがたいです。息子がいてくれるだけで、それだけで神様に感謝しています。

実は今日アメリカ時間9月10日は、息子の15歳の誕生日なの♪

なので、ちょっと感傷的なのだ。でもケンカしている時は、いてくれるだけでいいなんて思ってないのよ〜。ぎゃはは・・・と、ここで終わらず

もう一つ、

「小学校3年では英語の読み聞かせを始めるにはおそすぎますか?」という質問がありました。ハッキリ言って、こういう質問は私の時間の無駄としか言いようがありません。

なぜなら「小学校3年生ですが、英語の読み聞かせをしたいのですが、何をすればいいでしょう?」じゃないから。

きっとこれまでも、英語をやった方がいいかな〜と思いながら、でもやらずに、今まできたワケだ。そして時々、周りの人は英語教育しているに違いないと思って、ちょっと焦って、やっぱりやった方がいいかな、と思っているワケだ。でも誰かから「やった方がいいよ」と、背中をたくさん押されなければ結局はやらないワケだ。

だとしたら、やりなさいって人から言われたって、自分で決めたことじゃなから、きっと続かないワケだ。私はそんなヌカに釘みたいな、手ごたえないことにエネルギーは使いたくありません。

さて、この回答にムカ〜っときて、「そうじゃない。それは違う!」と思ったら、一年やってみて、そうじゃないことを証明してからメールしてね。

英語本.comに登録していれば(無料)、お金をかけなくても、やり方が分からなくても、英語教育が家庭でできるのだから。

ちなみに、小学校3年から始めても遅くないですよ。私は20歳過ぎてから英語を勉強したので、そのことは証明できます。^^

でもね、英語本.comの私とスタッフの役目は、一緒に坂を登って行く人のサポートはできますが、坂を登ろうとしない人に無理やり一緒に登らせようとはしないのよ。

なので、坂を登るか登らないかは、自分で決めてください。

英語本.comは無料ですが、提供しているコンテンツや情報は最高だ!と自信を持っています。お掃除のおばさんのマリアのようにプライドがあります。(^_-)-☆

なので、付け加えればトップページに書いてある通り、下記のような方には登録してもらいたくありません:

  • 自分勝手で我がままな人(自分の子どもだけが人より抜きん出ればいいと思う人)
  • 依存心が超強い人(何でも人にやってもらって当然だと思う人)
  • 主体性のない人(人のやっているからといって何も考えずに真似する人)

そうじゃない方はコチラへどうぞ(リニューアルから3週間も経たないうちに、登録者が500名を超えました!)

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