テーマ43:愚痴らせない
- 2016.07.04
- Spirid(精神) 学力は全米トップ0.1%
- 親の在り方
※ こちらの記事では、旧ブログ『学力は全米トップ0.1%〜秘訣は幼児期の教育(2005年5月〜2007年3月)』の内容をそのまま公開しています。
考えるポイント
今回は「愚痴らせない」について書いてみようと思います。
元気がないお友達に、「愚痴ぐらいは聞いてあげられるから今度遊びにおいでよ」とか「たまにはお母さんの愚痴を聞いてあげないと」とか「お父さんは仕事で色々あるから、家で愚痴こぼしても仕方ないでしょ。だからお父さんの愚痴ぐらいふんふん聞いてあげないとね」などなど、愚痴を聞くということはどうも美徳とされているようですよね。
でも、本当にそうなのかな~?愚痴らせてあげることって本当にいいことなのかな~?
実は昨日、私、めちゃくちゃ疲れてしまったんですね。それで、なんでこんなに疲れているんだろうって思いをめぐらせていたところ、あることに気付いたのです。
昨日、ある方とランチをしました。その方というのは(なんでこんな大先生がテキサスにいるわけ~!?)というくらいある道の達人・・、そうなんですよ、も~とんでもなくある道を究めたお方なんです。しかし、“ある道“に全く関係ない私は、「なんでそんな人とお知り合いなの?」と人に聞かれるのですが、私にも分かりましぇん。
ところで、どんな道でもなにかを究めている方というのは“とっても強い”・・と思いませんか?いや~、このお方、もうもう、とんでもなく“氣”が強いのです。でも・・・ “氣”が強いってどんな感じの人なんでしょう?
私流の独断的な解釈で言いますと、例えばですね、氣の強い人が明るく笑いながら楽しげに部屋に入ってくるとします。そうすると、その人の氣で部屋にいる他の人たちまでなんとなく明るい気分にさせられてしまう人。。。そんな感じ。
先日、日本のとある市の市長さんがテキサスにいらっしゃいました。私はあるプレゼンテーションの通訳だったのですが、さすがに都市の長であられるお方、ニコ~っと笑っただけで周りの人たちも気分よくさせる氣を放っておられました。
しかしですよ、、、、もしそんな氣を放つ人がですよ、怒ったらどうなっちゃうのでしょうね?めっちゃ氣の強い人が怒りを発散させながら、部屋に入ってきたとします。それまで和やかな雰囲気だった部屋が、きっといきなりどよ~んとした空気になっちゃうんじゃないかな。
そんな人、あなたの周りもいませんか?
それとも、あなた自身がそんな人ですか?
それでね、昨日のランチの話に戻りますが、私は彼の愚痴を聞いちゃったんですよ。奥さんと離婚されるということで、奥さんのお話だったのですが、(え~、見た目と裏腹では全然違うじゃな~い・・)なんて、失礼ではありますが、そういう話って正直言って無邪気な好奇心を持っちゃいません?
そんな気持ちも、きっと私の奥の方にあったはずなんです。でも、もちろんそれだけじゃないですよ。(あ~今大変な時なんだな~、これを上手く乗り越えて家族で幸せになって欲しいな)と思いながら、「そっか~、そっか~、そうだったんだ~」って話を聞いていたのです。
ところが、その日の午後、、、、(なんなんだ、この疲れ方は?)とびっくりするくらい疲れている自分がいました。その尋常じゃない疲れの原因を探ってみたところ、(ランチした氣の強いお友達の愚痴で疲れちゃったんだ)と気付いたのです。
前回書いたように自分の口から出てくる愚痴が自分自身に悪い影響を与えるとしたら、愚痴らせてあげることは一見親切な行為であると思うかもしれませんが、もしかしたら、実は人のためにならないんじゃないかと思うのですよ。
あなたはどう思う?
しかも、昨日の私のように愚痴られた人まで疲れてしまうとは、「愚痴らせる」という行為とは、Win Win ではなく Lose Lose なんじゃないかと。。。
そう言えば、よく知ってる中国の気功の先生・・と言っても、私自身は人に氣を入れてもらうのは好きじゃないのですが、その先生は日本語が話せるので、時々重病の患者さんの氣の治療の際に通訳でお手伝いしたり、なんだか縁のあるお方なんです。
この間もその先生が、突然ふらっと家に寄ってくれて、二人で大声でおしゃべりして、大声で笑って、私も先生もニコニコ!お腹から氣持ちよくなるっていうのはこんなことなんだ~と体感しました。
それがね・・・
その先生はね・・・
人の悪口とか愚痴とか一切聞かないんです。
では人が暗い話をしそうになるとどうするか?
大きな声で明るく、その人の体をポンポンと叩きながら、「大丈夫、大丈夫」って話を遮っちゃう。そしてなんだか全然関係のない話を明るくしはじめるんです。でもね、そうしてるうちに、知らない間に場が明るくなって、暗い話なんかどっかにふっ飛んじゃってるんですね。
私自身は暗い話を先生に持ちかけることはないけど、これまで、先生の人との接し方を見てると、どうもいつもそうしてるんですね。
しかしよく考えれば、氣の先生が接する人とは病気を抱えている人ばかりでしょ。中には氣の持ちようで病気になっている人もいるはずだし、そうなると、氣持ちを更に暗くさせる愚痴は患者さんにとって体に悪い。だから先生は敢えて人を暗くさせないように、「愚痴らせない」ように氣を使ってあげてるんじゃないかと思うのです。
私もこれからはそうやって人に氣を使ってあげられる人間になりたいと愚痴を聞いて疲れてしまった昨日、あたらめて決心しました。だって、聞いただけで疲れてるということは、愚痴をこぼした本人はもっと気分悪くなっているはずだもの。
しかし、時には自分の考えがまとまっていない時に、愚痴というより状況を人にぶっちゃけて話をすることで、自分の考えがまとまっていくということもあるかもしれません。
私がここで言う愚痴とはそういうことではなく、ただのどうどう巡りを繰り返している、理由もなくグジグジしている愚痴のことです。
しかし、そのように考えますとですね、、、、
会社から疲れて帰ってくるご主人の疲れを癒してあげるのは、愚痴を聞いてあげて、一緒に暗くなってあげる奥さんじゃないかもね。それよりも、明るい奥さんであることが一番なんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?
しかし、ま~、自分が愚痴らない人間になるだけじゃなく、人にまで「愚痴らせない」明るさを持たなきゃいけないなんて、
ま~~~ったく、一家のお母さんというのは本当は大変な仕事だったんだね!
でも、、、、よっし、決めたっ!
まずは自分からカラッと元気に明るくなって明るさを周りに振りまける、超脳天気な人間になろ~うっと♪
でも、そんな人間になるためにはどうしたらいいのかしら!?
どうしたらいいのだろう????
わっかんないけど、、、、
取り敢えずは笑っていよう♪
取り敢えずは前向きな言葉だけを発していよう♪
取り敢えずは姿勢を正して前だけを見ていよう♪
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