テーマ61:自分の内の恐怖心が敵

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※ こちらの記事では、旧ブログ『学力は全米トップ0.1%〜秘訣は幼児期の教育(2005年5月〜2007年3月)』の内容をそのまま公開しています。

考えるポイント
日頃、自分の内側を覗いてみる訓練ができている人なら分かると思いますが、誰しもが恐怖の気持ちにコントロールされ、物事を決めていることがあるはずです。理屈では正当な答えや、論理的には正しいと思われる行動でも奥深く覗いてみると、意外にも恐怖によって導かれた答えだったりしませんか?

先週の金曜日、家族でメキシカン・レストランに行きました。

私がマルガリータを飲んでいると、息子が「マミ~はちょっとお酒飲んだだけで酔っ払って人の言うことなんて全然聞かなくなっちゃうもんね」

そして・・「神様の言うことだって聞かないもんね」

ナヌ?(マルガリータと神様、一体どんな関係があるんだ?)と思っていると「神様にやりなさいって言われても(他の誰かがやればいいじゃん)なんて思ったり(それって神様の仕事だから、神様が自分でやれば?)って思ってるもんね」

私は一瞬、顎が床まで落ちそうになりました。そうなんです。実は最近とっても気になっていたことがあったのです。でも、(そんなことは自分の仕事じゃないし、何もできないよな・・)と心の底に隠してしまおうと思っていたことがあったのです。息子は私の中のそんな葛藤を知る由はありません。そしてきっと、彼自身も何を言っているのか分かっているのではなく、ただ単に口が勝手に動いて、メッセージを伝えているだけだと思うのです。

 
あなたにはこんな経験ありませんか。知りたいと思っていることが、たまたま開いた本のページに書いてある、とか。ふとしたことだけれども、明らかにあなたにとって大切なメッセージをなんらからのサインによって知らせてくれる、とか。きっと誰しも、そのような体験をしたことがあると思います。

特に子どもは、神様からのメッセージをたくさん持ってきてくれますよね。さて、私がこんな話をしたからと言って一体どんな効果があるのか分かりませんが、知らんぷりするな、っていうことみたいなのでいつもどおり、思った事をつらつらと書いてみます。

最近、なぜか宗教のお話が続いておりますが同時にマイブームで、なぜか最近とり付かれたようにオンラインで世界のニュースを観まくっていました。そんな折、私は一つのニュースに心を大きく動かされました。

そのニュースは、人類に起こる霊的な事件の中でも神の存在を感じ、体全体の細胞がシェイクされるくらいとても大きく人々に感銘を与えるものでありました。

 
10月2日、アメリカ東部ペンシルベニア州にあるアーミッシュの小学校が、襲撃されるという事件がありました。

アーミッシュについてはコチラ

その事件では、近くに住む男が小学校に入り込み男の子たちを開放した後、黒板の前に縛って並ばせた女の子たちに発砲し、死者5人、計11人に重症を負わせ、その後犯人が自殺したという事件でした。

事件後、CNNのニュースではこんなコメントがありました。「電気もガスも使わずに、昔ながらの生活を営む敬虔なクリスチャンのアーミッシュ・コミュニティーにとって、この事件の衝撃は我々が9・11にニューヨークを攻撃された時と同じくらい大きな衝撃だったはず・・」

にも関わらず、、、、その後、アーミッシュの長老の一人がインタビューで「私たちは誰も憎みません。これは神様から与えられた試練であると信じ、もしキリストならどのように行動するか考えます。これは私たちに、何らかの役割が与えられたのだと思っています。私たちは犯人を許します。なぜなら許すことは、私たち人類が最も必要としている癒しあることを知っているからです・・・」と淡々と語っていました。

一方9・11の時、人々はどのように行動したでしょうか?多くの人々は恐怖に突き動かされ、扇動させられました。毎週、日曜日に神の前で祈り、愛を唱える人たちや経典を読み勉強する人たちまでも、扇動させられました。

 
話は少しシフトしますがメル・ギブソンの映画『パッション』では数日前までキリストの話に耳を傾け、キリストを崇拝していた人たちでさえ、キリストが死す直前には、キリストを罵倒し処刑に追いやりました。

映画やストーリーを観ると、なんと酷い人たちだと思えますが、これは私たち自身の姿ではないでしょうか?アーミッシュのニュースを観れば、これがどれだけ勇気のいることであるかきっと誰でも感心させられ、彼らを尊敬するはずです。そして、もし自分に同じようなことが起こったら、アーミッシュの人たちのように“罪を憎んで人を憎まず“という精神でいようと思うかもしれません。

そう、、、思うだけなら簡単です。

しかし、もし本当にそうするのであれば、、私たちは、アーミッシュの人たちがしたように、私たちの子どもを殺害した犯人を許しキリストのように自分に危害を加える人のために祈らなければなりません。

 
具体的に言うなら、金正日を愛せますか?となります。

 
これって、笑っちゃうくらい難しいことです。こんなことを笑うならまだしも、怒り出す人もいるかもしれません。でも、もし私たちが、北朝鮮の貧しく恵まれない人たちや北朝鮮で飢える子どもたちのために、愛を感じることができなければ、しかも、金正日の蝕まれた心を慈悲で許すことができなければ、私たちは、キリストが処刑される間際まで闘っていた悪魔、つまり、私たち自身に内在する恐怖や憎しみには打ち勝てないのです。

最近よく見かけるスピリチュアル・ブームの中で言われている「地球を愛で満たす」というフレーズは、これができなければきれい事でしかありません。しかし私たちが闘わなければならないのは、テロリストでも金正日でもなく私たちの中にある恐怖や憎しみです。

人は誰でもいつかは死にます。恐怖におののきながら生活してもしなくても誰でも一回は間違いなく死にます。私たちは恐怖に支配されてはいけません。恐怖によって、答えを導いてはいけません。

世間を見てください。恐怖を煽り立てるニュースに扇動され、大昔、キリストを処刑に追いやった人々と同じことをしている私たちが、今もって生きています。

 
強くなろう!

 
そして自分自身を愛で満たし、愛で人を許し、慈悲の心を持つことができる人間になろう。それができる人間が増えたら、きっと核に核で応酬するよりも、もっと平和で安全な解決策が自然と来てくれるはず。

今年の夏開催した、『マーマーいい会』のお話で、社会を大きな布と例え、一人一人が少しずつその布を持ち上げることで社会全体が持ち上がるというお話をさせていただきました。大きな布を持ち上げるためには、あなたが恐怖に打ち勝ち、人を許し、大きな心で人を愛することが必要なのです。他の誰でもない、あなたや私という小さな人間一人一人の勇気が私たちの子どもたちの将来のために必要です。

 
ところで、最後にこの話をしなければ。

アーミッシュの女の子たちが縄で縛られ、黒板の前に並べた後、13歳の女の子が、他の小さな子どもたちの命を救うため「私を先に撃ってください」と申し出たことが後から分かりました。そして今度はその子の妹が、お姉ちゃんが撃たれた後に「次は私を」と名乗り出たそうです。幸いにその子の命は助かったそうです。

子どもたちだってこんなに勇気があるのです。

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