感情の話(2)

感情の話(2)

子どもが生まれてから、私は自分の中に押し込められ、隠れていた感情に気づきました。それは怒りの感情でした。

赤ん坊だった息子が泣いている時に、繰り返し出てきた、それまで感じたことのなかった怒りの感情によって、理解したことがありました。私に限らず、古今東西の母たちも然り、子どもを育てることで親は自分自身を知るという、学びをさせてもらえます。

生まれてから数か月の赤ん坊が泣いていて、それを見ている母親に怒りの感情が生じるというのは、自分自身でもすぐに違和感を感じ、(私は普通じゃない)と思ったわけですが、そんな時に必ず脳裏から父のイメージが煙のように出てきました。その煙のイメージは潜在意識からのメッセージとして、自分自身の中に眠る、囚われた感情の存在を知らされました。

煙のように薄っすらと出てきて、すぐに消えてしまうイメージに注意を払ったおかげで、論理的に理解し頭で考えて、私は過去からのカルマを息子に引き継ぐことなく、消すことができたと思っていました。(自分の子どもに暴力的になってはならない)という選択をすることで、父から与えられた虐待を息子に与えずにすみ、その頃の私は、潜在意識に隠されたネガティブな感情を解消できたと信じていました。

しかし感情について、特に自分の体験や経験を通じて深く知るようになり、「論理的に頭で考えて解消できるのは、あくまでも表面的な行動」であって、行動の種となっている、囚われた感情そのものが、解消されるわけではないと理解するようになりました。

潜在意識の中に保存されている囚われた感情は、実はあらゆる場面で、大人になった今現在でも、物の見方、感じ方、受け止め方、物事へのリアクション、小さな行動の選択などを通して、自分自身の身に起こる事象を引き起こしているようです。

宗教ではこれをカルマと言うのかもしれません。ニューエージのスピリチュアル系の人たちは、こうした感情を手放しましょうと言うかもしれません。しかし、こうした感情の開放には、誰でもできる方法があり、グルもいらず、宗教の教義を学ぶ必要もなく、スピリチュアルの観念を学んだり、信じたりする必要はないということも、徐々に理解するようになりました。

信仰心や神を畏怖する心は持っていた方がいいとは思います。そのテーマとはまた別に、囚われた感情をリリースすることに関してだけ言えば、宗教もスピリチュアルへの理解もいらず、もっとカジュアルに誰にでもできることと考えています。

ネガティブな感情の濁流で溺れている時には、特に物事は複雑で深く、理解するのが難しく感じるようです。ところが、一度物事の本質を頭ではなく身体で理解すると、(こんな明確で簡単なことだったのか)と思えることだったりします。

とは言え、それを説明するには、イントロダクションとして、このように言葉で書き綴る必要があります。実のところ言葉で伝えられることには限界があると考えてはいますが、敢えて言葉を駆使して、日常生活の中で、やろうと思えば誰でも簡単にできることも伏せて、書き残すことでシェアできたらいいと考えています。

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