優しくありつつ躾をきちんとすること

優しくありつつ躾をきちんとすること

リオくんが良い子なんで、ビデオのように上にのってみたりしました。褒めるとホイホイなんでもやってくれる馬です。まるで人間の子どもが中に入っているよう。可愛すぎ。

いつも私のそばにくっついてくるのですが、躾は厳しいのでリスペクトある間隔を保ってくれます。叱ることは滅多にないのですが、馬に優しくし接していると、甘やかしていると勘違いする人もいます。そういう人は馬をバシバシと支配的に扱うことが、躾だと思っていたりするんですよね。

だけどマスタングのような賢くて野性が強い馬には、力で制するような教え方をしたら不良になっちゃいます。もしくは暴力で支配され続けていると、魂の抜け殻のようになってしまう馬もいます。どちらにしても「こいつはダメ馬だ」と烙印を押されてしまいます。優しくありつつ躾をきちんとすることを人間が学んだ方が、両者がハッピーになれると思うんですけど。

人間と言えば、うちの息子も13歳になるまでは、親の言うことを聞いて、なんでもホイホイやってました。が、思春期が来たら反抗期に突入。人間の場合は反抗期がありますが、まさか馬にはないよねえ。ちなみにリオの耳が若干後ろにいっているのは、機嫌が悪いのではなく、(なんなの?なんなの?)っていう時に、耳を後ろにやる傾向があります。

 
私ごときにも、12歳の女の子の乗馬の生徒がおりまして、週一回レッスンをしています。賢い子で才能があるように見受ける子ですが、興味がないと全く集中しない。私にはそういう態度はしないのですが、反抗的っていうか、甘やかされているっていうか、自分が興味がないとお母さんには、結構いつもふざけた態度。私はそれを横目で見ています。

先週はお母さんが私に、娘が我儘でうんぬんという話を延々としていて、「どうしても甘やかしてしまう」と言っていました。なので「じゃあ、まず、変わらなければいけないのはお母さんかも?」と、顔色変えずにサラっと言ったら、意外とこれがパンチ効いたようで、今週そのお母さんは「娘に押し切られないようにした」と、ちょっと自己アピールしていました。

娘はと言えば、家に来る前に車の中でお母さんと喧嘩したらしく、馬のレッスンを始めるというのに、顔つきから察するに、頭の中にはまだ喧嘩の状況が残っているふう。

なのでこう言いました。「5本の指をくっつけていたら、手の平で水をすくえるけど、指を開いたら水をすくっても水は全部こぼれるよ。指は思考だと想像してみて。馬をやる時にフォーカスしていないで、頭の中が雑念でいっぱいだったら、指が閉じていない手の平のように、水はダダ漏れになるよ。その状態では何も学べないし、馬とも対話できないから、まずは呼吸を整えてから思考をオーガナイズしなさい。その後で馬を捕まえて来なさい。」と。できたら中国人の気功の趙先生訛りで言いたかったけど、英語なんでそれはできないアルよ。

 
さて、私の本日は、レッスンの他オースチンまで車を運転し、大好きなアーチストの曲を聴きていました。そしたら、なんだか(なんて幸せなんだろう)という感謝の気持ちが湧いてきて、ありがとうありがとうって思ったもんだ。12歳のその子に、どうやったらメタラーニングを伝えることができるか、ドライブしながら考えていた後ふと思考を手放したら、幸福感が自分の内からドワ~っと溢れ出てきたのでした。

次のビデオはリオ君の上で横になってるところ。って、見れば分かるか。ただ、この感触から来るセンセーションは、実際にやってみないと言葉や見るだけでは、到底伝えることができない。敢えて言葉にするなら、馬と一体となることで、自分と他者とを遮っている我がなくなり、目の前にある真っ青な空や自然と一つになれる感覚・・・・って、ああ、やっぱり言葉にすると陳腐。

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