言葉よりも語るもの
- 2019.12.17
- 非言語コミュニケーション
- #非言語, #ボディーランゲージ
ホテルで温泉とサウナ。大阪のおばちゃんにサウナと水風呂一緒に入って、大笑いさせてもらいました。
その後ホテル食の一人ご飯。ウェイターの男の子が耳もとで「お飲み物は何にいたしましょうか?」と、若い頃の渡哲也風に言うものだから、一人で笑いを堪えるのに必死。
笑いを漏らさないようにご飯食べてると、その子が「ランディー様はアメリカにお住まいなのですか?」と、渡哲也もしくはホスト風に聞くので、もう堪えられずに「ごめんなさい。あなたがさっきから面白くて」と白状。
「わたくし何か失礼なことしましたでしょうか?」と言うので、そうじゃないのよおと、「お飲み物は何にいたしましょうか」と彼のマネをしました。
で、「あなた何やってるの?歌とかダンスとかやってるでしょ?」と聞いたら、「え、なんで分かるんですか?」とビックリしてました。私の問題はボディーランゲージを通して、言葉よりも人の意識が見えるので、人に会うと非常に疲れます。でもほとんどの人は見られてないと思ってると思います。
例えば酒飲みはその人の口臭で分かります。特に肝臓が悪い人はすぐに分かる。また立ち方とか腕の組み方とか、人との距離でスペースの持ち方とか、言葉以上にその人の本心が入ってきます。だから疲れる。
見ようと思ってないし、どちらかと言ったら遮断したいのだけど、それはできないので、自分一人の時間が必要。
ちなみに私的には、我が強くて我がままで人に合わせられない人の方が、誰にでも顔を変えて上手く合わせられる、人付き合いに長けている人より信用できます。
少なくてもそういう我がままな人の方が、自分の気持ちに正直だから。怖い人は自分に正直じゃない人。そういう人はどんなに上手く人に合わせてても、声のトーンとかマイクロ・フェース・エクスプレッションと言って、瞬時の顔の表情で肉眼で見えます。
だけど往々にして、日本人は何を考えているのか、敢えて隠そうとしますね。アメリカ人はそもそも隠そうとしてないかも。そして表面的には柔らかい顔と態度と言葉の日本人ですが、日本人、決して弱いわけじゃなくて、むしろアメリカ人より実はキツイ人が多いように感じています。
咲いてるよりも落ちている花びらの方が鮮やかなピンク。海と空の境が分からない灰色な日。紅葉の山の景色が綺麗に見える時もあれば、寂しく暗く見えることもあり。表と裏は自分の見方次第で簡単にひっくり返る。
今の私はどうなんだろう。けっこう裏側から見ている状態かもしれない。今までずっと表側から見ていた人生だったから、裏側から見える角度には少し戸惑っています。
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