トランスファー2

トランスファー2

『トランスファー』

ートランスファーとは一つの地点から別な地点に動くという意味ー

(2)質の高い待ち時間とは

別な地点に移動するため、つまり変化するために行動したり前に突き進むのは、意外と簡単なことだとつくづく思う今日この頃。「変化を望むのであれば行動すべき」とはよく言われるけど、私にとって、変化の際に一番難しいのは「待つこと」。

一体なぜ待っているのか?

物事が進むのを自分以外の人や事に委ねる時に待っている。自分が期待している方向に進むのを待っている。その時間が待ち時間。突き進む気が満々あり頑張って行動しようがしまいが、委ねている時には、物事がどちらに転ぶかコントロールできない。だから自分のコントロールの外に居座っている「待ち時間」は長く感じる。

約二か月前から売りに出していたテキサスの我が家は、買い手が見つかり仮契約中。本契約まであと約一週間。待ち時間でも当然いつも通り家や土地の整備。今日は馬たちの糞をトラクターのような機械に乗ってハロー掛け作業をした。土地を慣らすためにトラクターの後ろにハローをつけて引く。なんと古くなったベッドのスプリングが最高なハロー役を務めてくれる。馬の糞をトラクターで目掛けて、ベッドのスプリングでガリガリっと砕く作業。なんの報酬ももらえないけれど満足感は十分にある。

馬たちも人間のこの作業には慣れていて、トラクターとベッドのスプリングが砂煙をあげながら、グワーッという音と共に横を通っても、横目でチラッと見ながら何食わぬ顔で干し草を食べている。彼らは何も待っていない。何も期待していない。今やっていることに集中しているだけ。ところが私の方は「待っている」だけで、気持ちが今に集中できずフワフワしてしまう。本来なら楽しいハロー掛けだが、馬たちが干し草を食べるように、待ち時間には飄々と天真爛漫にはなれない。

トラクターを運転しながら(待ち時間の焦燥感を手放すには、神のみぞ知ると思えればいい。けど信じる気持ちが薄ければ、フワフワして今ここに在ることを楽しめなくなる。)とふと思った。自分自身の我や期待をなくし、私をお使いくださいと心から身を投げ出せていれば、あるがままをそのまま受け入れることができるはずなのに、期待があるから焦燥感も生まれる。

今このままだって十分に幸せな人生。なのに私は一体これ以上何を期待しているのか?自分が考えた通りになって欲しいという期待が有る限り、変化の波にスイスイ乗ることはできないように思う。

何にしても外側の事象が問題なのではないと思う。そもそも外側にある事象は、待っている間、自分以外のものに委ねているのと同じように、自分のコントロール外にある。ということは、木のように無数にある事象という枝を剪定して、木を形作ろうと思うのではなく、地面とちゃんと繋がっていられる根の部分、そこに栄養を与えることにフォーカスすべきなのか。そうすれば闇雲に行動するというアクティビティーだけが先行せず、意味のあるアクションという行為が自然発生するかもしれない。

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