IBEA 国際ブロード・エデュケーション協会のポリシー

IBEA 国際ブロード・エデュケーション協会のポリシー

昨日、新たに立ち上げる国際ブロード・エデュケーション協会(IBEA)の会議がありました。でも私は会議を会議とは呼ばずに、ミーティング、いや話し合いと呼びたい。

今まで英語本でチルドレン大学を創ったり、色々なサイトを制作してきましたが、昨日のような笑いがない話し合いは初めてでした。

スカイプの向こう側で、みなが緊張しているのが分かりました。それは何なのか?そしてまた、私自身がどういう方向に向かいたいのか、赤裸々にここに書いておこうと思います。


いきなり天皇陛下のお話しに飛んでしまいます。311の後、天皇皇后両陛下が東北に行かれた時のお姿をビデオで拝見し、多分多くの方が同じ体験をされたのではないかと思いますが、私は理屈ではなく心臓のあたりが打たれたように涙が自然にこみ上げてくる体験をしました。

その後、なぜあのような存在になれるのか?どんなに成功した大企業のCEOや、大スターたちにさえない、あの存在感というオーラはどう培われたのか?外で馬の手入れをしている時やお皿を洗っている時など、無心になっている時にふと思いを馳せていました。

次はペトロスキー先生の話に飛びますが、天皇陛下の後に先生のお話しを持ってきたら、もし先生がこれを読んだらギョっとされるかもしれませんがご安心ください。

私が天皇陛下のお姿から自分なりに思ったことは実は先生にも通じているし、もしくは子どもたちが輝いているのはなぜかということにも繋がるという風に、実はシンプルなことのように思ったのです。

ノーベル化学賞を取られたプリゴジン物理学博士は、大学の職務において、「トミオ(ペトロスキー先生)のような優れたマインドを持つ者に、大学で学生を教えるというような、大学教授が生きていくための糧とする仕事を与えてはいけない」(私の解釈)といことで、大学側に一筆書いてくれたそうです。

参考:http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-12247883294.html

「生きるため、つまり生活費を稼ぎサバイバルすることに頭を使わなくていい」ということは、ほとんどの大人が味わうことのできない世界ではないかと考えます。

子どもたちがそうしたことを考えずに、自分がやりたいことや遊びに夢中になれる時期は人生の花です。でも大人は違う。世俗では生きるための糧、生き残るためにどうしたらいいか常に付きまとう問題です。

お金がなかった世でも、生きるための狩りや農耕や、食料を保存するということに、人は常に頭を使っていたことでしょう。

またはお母さんだったら、どんなに華美な理屈を並べ立てて子どもを教育していても、心の底にこれっぽっちも(大人になった時に食いっぱぐれないように、子どもに準備させなければいけない)と、自分の子どもが社会で生き残ることを全く考えたことがない人はいないのではないかと想像します。

天皇陛下においては、そのような普通の人間が考える事が遺伝子の記憶にさえないと思えるほど、一代ではなく何世代にも渡って自分自身が生き残るために頭を使うのではなく、人々がよりよく生きるために生きてこられてきたことと思います。

ペトロスキー先生にしても、人類に叡智を残すために何十年も先生の時間と頭脳を費やすことができるという、世間一般の人にはない環境があったのではないかと想像します。私はそんなことを馬のうんち掃除をしながら、ボオ~っと考えていました。うんち掃除は哲学の源です。

昨日のミーティングの話に戻りますが、今、私たちはまだ立ち上げの時。良いものを人さまに提供することに集中する時期です。英語本では過去約10年、採算や事業計画や、ともすれば一歩目の前のことさえ、英語本が生き残るための計画などない中で、つまり(そんなことぜんぜん考えてな~い)状態でやってこれました。

普通の会社はそういうわけにはいきません。が、私たちにはそれができました。なぜなら生きるための糧は、私の夫や英語本スタッフの旦那様たちが作ってくれていたからです。

だから私たちは生きるために、お金を作るために、物創りをする必要がありませんでした。そしてその思考の在り方は、今は変えるつもりはありません。

でも社会一般では会社などの組織が、どのように進行されるのか知らないというナイーブさではないんです。私はナイーブではないです。54歳のナイーブなおばさんがいたら、その人はビジネスをしない方が身のためです。でも、知っていても敢えてそうしないという選択をしているのです。でなければ、始めから英語本なんて作っていません。

大昔、英語本を作る前にビジネスプランを立てたことがあり、それがコンテストで通って日本からお金をもらって招待されて、都内の高級ホテルで名だたるITの大手の社長たち、そして銀行や投資家たちの前で、プレゼンテーションさせてもらったことがありました。

その時ヘボい賞をもらったのですが、結果的には企業の人たちに突っ込みまくられる経験をしました。そして思ったんです。「普通にやったら無理」だということを。

だからと言って、夫たちに稼がせてプログラムを提供し続けるということではないのですが(笑)、何か型がある中にあてはめていくような思考の仕方、つまり一般の会社ではこういうやり方をしているというような、誰でもがやっている普通のことに思考が持っていかれるようなやり方では、私が人とシェアしたいと思っていることを世に出せなくなると考えているのです。

というか、それだったら私たちがやる必要ないのです。すでに学研とかベネッセだけでなく、色々な会社がひしめき合ってますから。

私が目指しているのは下のビデオのマノージ・バルガヴァさんのような考え方です。
やっていることはぜんぜん違いますし、桁も天と地の如く差がありますが、原理としてこうありたいと思っています。ちなみにこの方はMBAは雇わないと言っています。

彼のメッセージはシンプルです。「本当に人の役に立つものを創る」それだけです。

IBEAでは『幅広い豊かな教育を全ての子どもたちに!』という理念のもとに、「本当に人の役に立つものを創る」ことにフォーカスします。

と言っても、多くの人に提供するものを考えるのではなく、考え方としては一人のお母さんの先の、今お母さんの目の前にいるたった一人の子どもの人生に役に立つ物を創る。シンプルにそれだけです。

少なくても私には、”今は”そっちの方に頭を使うことにフォーカスさせて欲しいのです。(じゃなかったら他に誰がやるの?)って思っているくらいです。

いずれ組織として、ある形態に沿って動かなければいけなくなる時には、それはそれで柔軟に適応します。でも今はその時期じゃない。できないんじゃなくて、今は敢えてやらないという選択をしているのです。

必要なことは自然について来ると思っています。で、ついてこなかったらしょうがない。神さまに必要とされてなかったと思って、毎日、鼻ほじりながら馬のうんち掃除する生活をします。

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