一緒にやりましょう!百年以上先のことを考えるなら子どもを教育せよ

一緒にやりましょう!百年以上先のことを考えるなら子どもを教育せよ

2020年の日本の教育改革は、持つ者と持たざる者の社会の二極化を加速させ、格差を広げることに繋がるのではないかと考えています。教育の二極化が進めば、ぼやぼやしていられません。日本もアメリカのようになる可能性は大です。

試験で良い点を取る教育は、比較的、誰でも頑張ればできる平等性があるように思います。でも、思考力とか創造性などが試されるとなると、子どもの頃から家庭で教育できる親、もしくはそうした教育にお金をかけられる親の子どもと、それをしてきていない親の子どもには、後になってから埋めようがない差がでます。

裕福で余裕があり、教養のある親にはそれができるかもしれませんが、そうではない親は、一体どう対策を練ったらいいのやら、方法さえ見つけるのは難しくなるでしょう。

その結果、ひいてはアメリカのような社会になるのも、非現実的ではないと私は考えています。

金髪頭の変なオヤジに牛耳られているアメリカを見て、他人事だと日本人は面白がっていられるかもしれませんが、教育の二極化が進めば、笑ってなんかいられなくなります。

昨日の聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の真意の話を書きましたが、そのことを考えますと、なーんだそんな簡単なことだったのか、というのが見えてきます。

お互いをリスペクトし和を保ちつつ、道義を見出すために違う意見を交換しあい、問題を解決していくには、共通の言語を使うだけでは、当然十分ではありません。

違った意見の後ろに控える通念、それは文化や道徳や、もっと簡単に言えば育ち方や、教育のされ方が似た者同士であれば、大義を目指す道に辿り着くには、どちらを行けばいいかという違いはあっても、目指すところは同じ。通る道は違っても、互いにリスペクトした関係を保てるのではないかと考えます。

ところがアメリカ人が今、極端に二極化しているように、都市に住む教育を受けた人たちと、田舎に住む教育を受けてない人たちには、共通言語はあっても、彼らの思考の背景となる、通念は異なり過ぎていると感じぜずにはいられません。

その場合、彼らには英語という共通言語があっても、二極化された世界観を持つ人たちには、「和を以て貴しとなす」の真意である、一つの道義に向かって違った意見を出し合い、協議していくことは難しいでしょう。というか、不可能と断言してしまってもいいかもしれません。実際、話し合いにさえならないんですから。

しかもアメリカでは、数の多さでは都市部の教育を受けた人たちよりも、その反対の人たちの方が多いのです。なので、トランプはその人たちをターゲットにして、レッドネック(教育を受けていない田舎の労働者層)に支持されるスローガンを、徹底して彼らに吹き込みました。

たまたまそうしたのではなく、トランプ陣営は長年それを計算して計画してきたのでしょう。ビックデータとかありますから、そうしたものを利用しないはずはありません。

今のアメリカのように、持つ者と持たざる者の格差がある社会では、トランプのような人が大統領になってしまうのは、当然至極の結果。不思議なことは何もないし、また今後は何かしらの形で崩壊しなければ、次の成長のプロセスには移行できないように思います。それはそれで自然な成長のプロセスなのであれば、しょうがないねと、達観して眺めているより仕方ありません。

っていうか、私はそもそも日本人なので、日本がより良い国になることには興味はあっても、アメリカで何かしようとは思ったことはないので、こうした状況からは学ぶだけと、悠長なことを言ってられます。

ところがひとたび、日本もいずれはそちらの方向に進む可能性がある?なんていう方向に、考えがおよんでしまいますと、そりゃもう、じっとしていられなくなってしまいます。

孔子曰く「来年の心配をするなら米を植えよ。10年後を考えるなら木を植えよ。もし百年以上先のことを考えるなら、子どもを教育せよ」とあります。

社会を良くするためには、もちろん多くのことが同時進行しているという、多様なムーブメントは社会には必要かと思います。でも、一番早い方法はなんだろうと考えると、お母さんたちが立ち上がることではないかと、私は思えてならないのです。と言っても、自分の子どもを教育するだけでいいんです。

子どものためなら何でもする、子どものためなら変われる、急速に学ぶ能力もエネルギーも秘めていて、その力を発揮して、子どものために、自分たちの力で日本を住みよい社会にしようと、お母さんたちが理解して子どもを教育すること。

それだけする人の数が急速に増えれば、私たちが生きている間に、少しは目で見て解る程度には、社会を良い方向に変えることは可能でしょう。

変化は目に見えないようにじわじわと起こっていて、でも気づいたら、多くのお母さんたちが(子どもを育てにくい社会になってしまった・・)と感じてはいませんか?でも、それは変えられます。変えるんです。自分たちで。

ただ、社会が良くなるって一体、自分にとってどんな具体的なベネフィットがあるのか?と思われるかもしれませんね。

でも考えてみたら色々あると思います。例えば、児童公園でさえ子どもを遊ばせ難くなったとか、給食を改善して欲しいとか、子どもたちに競争ではなく、共生・共創する教育を与えてあげられるようになるとか、そうした日常の具体的なことに、繋がっていくと思うのですが、どうでしょう。

自分の子どもだけでなく、社会を広く見た視野で、子どもを教育する人が短時間で急に増えれば、日本はアメリカのような国を後追いすることなく、逆に他国の見本となれる国になれると信じています。

今やろうとしている、国際ブロード・エデュケーション協会を立ち上げようとしているのは、そのためです。私たちはこれまで約10年間、宿題をやってきました。そして失敗から多くのことを学びました。これからは私たちだけでなく、多くのお母さんたちと一緒に、切り開いていく時期だと思っています。

共鳴してくれるお母さんたちが、じわじわと集まってくれています。いいんです。急にわあーっと広がらなくても、それよりも、本気で同じ想いを持つ人たちが、少しずつ集まってくれたら、その人たちの力で更に先に広がっていくことと思っています。

あ、じわじわとしか集まってないのには、他に理由がありました。私の頭の中では、すでに確固たるイメージは出来上がっているのですが、そもそも国際ブロード・エデュケーション協会は、まだ立ち上がってないんだった。

こうしてFBでその日、その日に思いついたことを書いているだけで、現実にはまだ正式に告知さえしてないんだった。そりゃあ、誰も知らないよね。

でも、それでも人は集まって来てくれています。それを考えたら、そういう方たちのアンテナは、かなり高精度ですね。凄い。インターネットという大海で見つけてくれるのですから、ご縁があるとしか思えません。

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