ヘアカラーで死にそうになりました
- 2017.01.24
- からだ・健康
先日ベトナム人のおばさんの美容院に行きました。ちょっと前に髪の毛をピンクに染めて、その後、数日間は面白いと思っていたのですが、きれいなピンク色はすぐに色褪せ、下から昭和の場末のスナックのおばさんを連想させられる髪の色が浮上してきました。
高校生の頃、電車の中で目撃した、金髪に髪を染めたおばさんのことを今でも思い出します。なにが凄いかにが凄いって、そのおばさんの眉毛が真っ黒だったこと。金髪なのに真っ黒の眉毛・・・おかしすぎでしょ。
自分自身もそんな姿になり果ててしまったと思い、地毛に近い色(眉毛の色)に染めなおそうと考え、ベトナム人のおばさんの美容室に行きました。なぜって?そこはアポイント取らなくてもいつも空いてるから。
結論を申し上げますと、私はそこで死にそうになりました。
おばさんが私の髪を染め始めてから少しすると、頭皮の数カ所が痒くなりました。(このくらいなんのその)と我慢していると、頭全体がジンジンし始めました。もうこれはマズイ状態とさすがに思った私は、おばさんに「あのお、すみません、あのお、すみません・・」と弱気で声をかけました。
でも無視してるもんで、しょうがないから椅子から立ち上がって言いました。「洗い落してください」と。おばさんは簡単にちゃちゃっと洗い流すと、また液をかけ始めました。「地肌につけないから」と。でもその前に、液がちゃんと洗い流されてないんですけど・・
おばさんの三角になった目を見て弱気になった私は、椅子の上でなすがままにされていました。が、少しすると今度は震え出したので、(このままでは死ぬ)と思って、自分で立ってシンクに前かがみになり、液を洗い落し始めました。
それを見つけたおばさんは、前かがみになったらもっとひどくなるから坐れ坐れと、私の肩を抱えて椅子に座らせるのです。違うって!液を洗い流さないとだめなんだって。
その時には体全体が震えてきて、そのまま床に倒れて救急車か、もしくは車に飛び乗り家に帰るか、というギリギリの選択。そして髪の毛がビショビショのまま、その美容院で巻かれたタオルをもぎ取り言いました。「帰る!」と。横にいたお客さんは、同情の眼差しを向けてくれ、立ち上がって私を支えてくれようとし、「一人で帰れるの?」と聞いてくれました。
ところがベトナム人のおばさんは、私の帰るという言葉に間髪入れず、「帰る前にお金払って」と言い放つではないですか。私はガクガク震えてながら言いました。明日お金払いに来るから、今はもう帰ると。それでもおばさんは引きません。何回かそのやり取りをし、そちらの方が時間の無駄だと判断したので、さっとクレジットカードを渡して震える手でサインして、私は逃げるように外に飛び出しました。
去年の夏、日本から来たお母さんと子どもたちの中に、喘息とアトピー持ちの子がいて、私、お母さん、その子の3人が車に乗っている時に、その男の子が喘息の発作を起こしたことがありました。
今でもあれは何だったのだろう?と不思議でならないのですが、その時、夏なのに急に車が故障でもしたように、暖房がでてきたのです。車内は暑くて暑くてたまらなくなりましたが、その子のお母さんも私も、レンタカーだったため、機能を上手く知らず暖房を止めることができませんでした。でも、そのおかげもあって、その子の発作は少しすると収まってきたのです。
その後、やっと運転していたそのお母さんが、暖房を止める方法が分かり、私はと言えば、後ろの席に行って、その子の横で一緒に呼吸法を続けていました。
今度は私自身が自分で車で暖房をつけ、呼吸法をする立場になるとは・・。家に戻った私はバスルームに直行し、お湯をためて、頭を何度も洗い流しました。その後、アップルサイダービネガーで浸した後、また洗い流し、そしてビワの種をアルコールに漬けた液と、アロエベラを混ぜて頭皮に浸みこませておきました。
今これを書いているのは、私がどんなに大変な思いをしたか知ってもらいたいためではありません。私はその時に(こういうことを知っているのと知っていなのとでは、苦しみ度が大きく変わるんじゃないか)、(もし自分にそうした知識がなかったら、自己免疫が働き過ぎてしまう時、一体どんな大変な思いをすることになるのか)、(きっと既に苦しい思いをしている人はたくさんいるのだろう)、(その多くはアトピーや喘息で苦しんでいる子どもたち・・)というような思考がグルグルとしていました。
そこで明らかに分かったことは、
①日本語での情報と英語で入手できる情報の質と量にはかなりの格差があるということです。日本語だけで情報収集しても、結局はハーブやサプリを売るサイトだったり、なんてことが多々。
②最新の研究で分かってきていることと、医者たちが患者さんにしている治療には大きな隔たりがあるということ。それらのギャップで苦しんでいる子どもたちは、たくさんいるのではないでしょうか。
だけれども日本人のお母さんで、マクロビを勉強したという人がいても、その人の子どもを見ると、口呼吸してたりアトピーだったり。更には、そうしたことをケアするよりも、教育、つまり勉強に力を入れていたりなど。普通に感じることができれば、分かるんじゃないかと思うことを、分からない人が増えているのかと想像するのです。頭でっかちに情報を取り入れている人でも、感覚的に自然に分かるという人が、今の世の中少なくなっているのかもしれない。
昨日、お母さんが明治生まれだったという方とお話ししていて、すごくシンプルなことに気づきました。現代、多くの人たちが、例えばすごく簡単な例で言うと、炊飯器を使わずにお鍋でご飯を上手に炊けるという、ちょっと考えればできることや、感覚を使ってやれることが上手くできないのであれば、子育てという複雑なことにおいても同様に、分からないことやできないことが多々あっても、それは当たり前のことなんだろうな、ということ。
そういう人たちの元で、子どもの頃に外で泥んこになって遊ばせることはいいことだというのは、感覚では理解されていないから、なんでも消毒したり、風邪ひいただけで抗生物質を与えたりすることで、子どもの免疫システムが狂ってくる、ということが大いにあるのでしょう。それは昔の人たちは、腸内細菌の研究を知らなくても、知っていたことなんですよね。
今日は天気なので、これから外に出て、馬のうんち掃除でもしよう。バクテリアさんたちが私のことを待っているわ。
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