ディミトリー最終回
- 2018.11.29
- 非言語コミュニケーション
- 依存症
写真:昨日の夕陽
ディミトリーが施設を出る時が来ました。彼と会うのは最後になるのかな。
私はセッションの合間、特に人と話をしたくなかったので、馬たちの鼻息を聞きながら、厩で一人でランチを食べてました。馬慣れしてくると、多少埃っぽくても、手なんか汚くても、馬のうんちのにおいがしてても、平気で物を食べられるようになります。以前受けた腸内細菌の授業でも、雑菌まみれになってた方がいい!なんて教わってますし、汚くてもオッケー、いや汚い方がなおよろしい、というのは科学的に説明できるようです。
厩のベンチに座り、ランチを膝の上に置いて食べてると、ディミトリーがやってきて、すっと私の横に座りました。
「明日、ここを出るんだ」とディミトリーは寂しそうに言いました。「知っているよ」と同情する風でもなく答えました。同情なんかしたら、嘘臭さを嗅ぎとられて、彼はさっと引くように感じたからです。私は彼の対岸から、甘っちょろい慰めの言葉などかけたくなかったのです。彼の不安を感じるが故に、彼に同情などしたくなかった。
「僕は変化が嫌いなんだ。変化する時、気持ちが動揺しちゃうんだ」
「小さい頃に孤児院に入ったり、生きていく場が安定していない経験をしたからだね。私も実の父に誘拐されて、母と2年間会えなかったことがあるんだ。その間、実の父に「施設に入れるぞ」って脅かされていたから、その恐怖、とても分かる気がする」と言い、彼の目を見ました。私たちは、言葉なくお互いの目をしばらく見合っていました。そしてディミトリーが私を信頼したことが分かりました。信頼は決して言語で得られるものではないのでしょう。
彼は言いました。「カウンセラーに話を聞いてもらう時間は、僕にはもっと必要だったかもしれないけど、でも僕はカウンセラーと話する時には、彼らが聞きたいと思うようなことを言って演技してるんだ」と。
そして自分の生い立ちについて話をし始めました。私は彼の顔をずっと、じいっと見ていました。実のお母さんとお父さんはアル中で、最初はお父さんが亡くなり、その後、4歳の時にお母さん亡くなったそうです。「実の親のことはカウンセラーには話してないんだけど、本心は僕は親に怒ってたんだ」と言いました。
お母さんが亡くなった後、親戚をたらい回しにされ、最終的に孤児院に行ったということ、そして孤児院では子どもたちはみな残虐だったということを話してくれました。私は何も言わずに彼の顔を見ていました。
途中から目の雰囲気と肌の色が変わってきて、呼吸が早くなったのが分かりました。私はそこで初めて彼の話を止めました。
「トラウマがあるんだね。そして今、あなたが小さな子どもの頃の、その時にいるような感じになってるね。私の目を見て深呼吸してごらん。今あなたがいるのはテキサスの厩。そして今のあなたは8歳ではなくて20歳。ここに戻っておいで」
「確かに僕の頭はウクライナの孤児院に行ってた。」
私は感情の分子と呼ばれるものについて、お椀のようなレセプターが、あたなの体内にあって、同じ感情が沸き起こることで、それらのレセプターが自分たちにエサを与えられるために、ジンジンいいながら待ってると、身振り手振りでビジュアライズされるように説明しました。
そしてこう言いました。「そいつらレセプターには消えてなくなってもらおう。3ヶ月同じ感情を抱かなかったら、そいつらは消えていなくなるから、その時には身体から沸き起こってくるような、古くから君の身体で巣食ってきた、寂しい気持ちとか、恐怖の気持ちなどが、居座る場所が体内になくなるよ」と。
「それはすごくしっくりくる!」とディミトリーは言いました。「僕はカウンセラーに聞かれて昔の話をした後、いつも気分が悪くなってたんだ」と言いました。
私はそのことには触れずに、彼が馬で自由に走ってた時のことを思い出させました。
「最初はできないって思ってたんだよね。でも自力で馬に乗って走れるようになってたね。まるで野生児のようだったよ。気持ちよかったでしょ?」「すごく楽しかった」と、暗くなっていたディミトリーの気持ちがシフトしたようでした。
「あの時、自分でできるからやってごらんって言ったら、キミは自分でなんとか考えて、気持ちよく走れるようになってたよね。ねえ、分かる?他のことだって同じようにできるようになるから。何やったって同じだよ。やりたいと思って、意識を込めてやったら、なんだってできるようになるよ。」と私は言いました。
「でも現実的にならないといけないって、カウンセラーは言ってた」とディミトリーは言いました。
「あらそう。私はいつも夢見て生きてきたけど、いつでも夢は現実になってたわよ。できると思ったらできるし、できないと思ったら何もできない。シンプルにそんなことだよ」と若い青年に言いました。「自分にはできないと思ったら、起き上がって、いやできる!できないと思ったら、いやできる!、でもできないと思ったら、そうじゃない、できる!って思ってごらん。いい?何も持ってない人が、ゼロから自分の人生を築かなければいけないんだよね。その気持ちさえあれば、あなたには能力あるんだから、なんだって可能よ」
そう言って私はまた、ランチの残りを食べ始めました。彼は私の(この話はもうお終い)という非言語を感じて、「分かった!ありがとう。話できてよかった」と戻って行きました。
施設を出た後、一人でまた新しい環境に行く彼に、頼られる存在になっては酷です。頼らせるというのは、私には酷という以上に、罪だと思っているのです。実際サバイバルして生きていくのは、本人の生きる力を信じるしかない。こういう風に生きるべきというのはなく、どんな過酷な道を選ぼうとも、それはその人が人生の学びをするために、通るべき道なのだろうと、あえて少し離れたところから、人を応援しつつも、尊重して見ていたいと思っています。
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