次世代テーマ9:運命


“そういえば「心配しない」の章も月一くらいで読み返してます。親の劣等感とか、心配の裏にある恐れなどの感情は一番子どもを侵食するような気がして。”

これに対し、私は声高に申し上げます。「そうなの、そうなの。心配してもしなくても同じだから。なるようにしかならないから。」

なすがママ、きゅうりがパパ、と昔タモリが言ってたのを思い出します。な〜んて、無責任なことを言っているように聞こえるかもしれませんが・・そんなことないのよ。

 
ここから少し、奇妙な話に入ってまいります。

でも最後まで読まないと、私のいつものように長い話には全く合点がいきませと、前もってお知らせしておきます。

ついこの間の感謝祭の4連休の最後の日のことです。息子はお友達の家に行ってしまい、日曜日の午後は夫と静かな時間を過ごしていました。まるで老夫婦です。

4時頃でしょうか、ちょっとはエクササイズでもしなければということで、夫と私は外に散歩にでかけることにしました。老夫婦そのものです。

ところで前回、大喧嘩のことを書きましたが、自分自身の内に目を向けたらすぐに雨降って地が固まりまして、以前よりもはるかに家族が上手くいっております。(メッセージをくださった皆様、お気遣いありがとうございました)

で、夫と私には、近くの小学校の周りという、いつもの散歩コースがあります。しかしその日に限っては、夫が大きな道路の反対側にあるマニール美術館の方に行こうか?と言うので、ほんじゃま、たまにはそっちの方に散歩に行くか、ということになりました。

出かけ間際に電話が入ってきたりして、行こうと思った時に出れなくなる・・ということ、よくありません?その時もそんな感じで、結局すぐには出れず、外は少しずつ暗くなりかけていました。

感謝祭の連休の最終日、そして日曜日ということもあり、いつもより車が少なく、外の音がザワザワしていないためか、その時は空気が動いていないような五感で感じる雰囲気がいつもとは違う、まったりとした夕方でした。

 
我が家の立地は、ヒューストンのミュージアム地域と呼ばれる地域のはずれにあります。ミュージアム地域の中心には、美術館、彫刻の庭、現代美術の美術館、科学博物館、そして、チルドレン・ミュージアムやホロコースト・ミュージアムなどがありますが、家の近くのミュージアムは、プライベートの、されども知る人は知る、知らない人は知らない(当たり前だ!)、マニール夫人が築いた世界的に有名なミュージアムがいくつかあります。

マニール夫人は石油関係の仕事で財を成した家庭の娘ですっごいお金持ちだったんですね。そのお金で美術品のコレクションをして、無料で開放しているミュージアムを4つ、この地域に建てたのです。

この辺りはピクニックにぴったりの芝生のオープンスペースがあったりして、ん、でも、その芝生にシートを敷く前は、犬の糞をチェックした方がいいという、ちょっとした注意を払わねばいけませんが・・。しかもファイアーアンツと呼ばれる南米から渡ってきた、無敵(本当に無敵なのです)な赤蟻の蟻塚の上にピクニックシートを引いて、蟻にチクチク刺されようものなら大変な騒ぎ・・などなど

“見た目には”ピクニックにぴったりの芝生のオープンスペースは、実際にピクニックするよりも、その周りを散歩するにはぴったりの場所であります。で、そこは、う〜ん、家から歩いて7分くらい、かな。

 
夫と私がそちらの方向に歩いて行き、信号で待っていると、目の前を横切った車を運転していた女性が、「あ、ウィリアムのお嬢さんだ!」と思いきや、よーく見たら彼女ではない。しかも全然似てさえもいないときた。なので、どうしてウィリアムの娘さんだと思ったか、私はちょっと(変だな)と思いました。

自分の頭に浮かんでくることを観察するのが、日ごろから癖になっていますと、ょっとした心の動きから、それが潜在意識からの思いなのか、エゴなのか自分が勝手に作っている妄想なのか・・・などなど、少しずつ区別が付くようになると、思っています。そう思いませんか?

ちなみにこれを言語でもやるときがあります。英語と日本語どっちで考えているのか
または言語を使って考えていないか、など観察したり、今何を考えていたのだろう
と思うと(何を考えていたのだろう、何を考えていたのだろう)と、何を考えているのだろう、について考えていたり、ああ、ワケが分からなくなってきます・・ ゴメンナサイ

で、ウィリアムという一人の人が私の頭の中に、その時点で飛び込んできたことに
私の意識が気づきました。

ところで、ウィリアムは昔ヒューストンに住んでいた人で、今はニューヨークにいます。それがまた、アーティストのかっちょいいおじさんでねえ。若い頃の写真を見せてもらったら、まるでデイビッド・ボーイよ。

昔からヒューストンのアート界に精通している人の噂話では、ウィリアムは若い頃からすっごくモテたらしい。。。分かるよ、分かるぅ。だって年取ったおじさんになっても、私が知るおじさんの中でも断トツにかっこいいもの。あ、それってね、外見じゃないのよ。やることと雰囲気がカッコいいんだから!

数年前、彼がまだヒューストンに住んでいた時、こんなことがありました。彼はふるーいクリーニング工場を外見はそのままで中だけ改装してスタジオ兼、住まいにして住んでいました。中はアートそのもので、バスルームからキッチンから、一つ一つの部屋すべてがスタイリッシュでした。

写真載せますね。
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で、外見は工場でしょ。そんでもって白い大きな壁があるんですね。なので、スプレーペイントでグラフィティーを描く不良たちにはもってこいのキャンバス!ウィリアムは彼の家の外壁全体をグラフィティーを描きたい不良ちゃんたちに提供して、彼らに好きなように描かせてあげたのです。

ところが、ヒューストンの警察が勝手に白いペンキで上塗りしちゃって、ウィリアムの壁を親切にも元に戻してくれた。。。そしてウィリアムは警察に感謝・・・・ じゃなくて、怒っちゃったんだよね。

というのは、彼は貧困の中で育ち、良い教育を受けられない若者たちがグラフィティーを自分たちを表現するメディアにしていることは、大いに結構じゃないか、と思っていたのです。なので彼は怒りました。

だって警察がアーティストの著作権を侵害したワケだから。建物の主もそれでいいと思っていたのに、勝手に消しちまったワケだから。

このことは新聞で取り上げられ、“グラフィティー=ばか者たちのいたずら描き”
という扱いから“グラフィティー=芸術”として捉えるムーブメントが起こりました。

この事件が原動力となって、元よりアート界に精通している彼は、グラフィティーアートの展覧会を開催することになったのですが・・・ウィリアムがかっこいいところとは、このサ、展覧会にサ、街の不良たちだけじゃなくて、警察官もたくさん招待したことだったの!なのでラッパーたちと警察官が談笑している、という場面もあったのです。

しかも、普通のアート展には来ないような、オホホな白人のお金持ちだけでなく、地域の、しかも様々な人種の人たちが、この展覧会には来ました。

うちの子がまだ9歳くらいの頃だったかしら。でもその後、ウィリアムはニューヨークに行ってしまい、たまーにヒューストンに帰ってくる時に電話してくれたけど、それから2回くらいしか会っていませんでした。

 
夫と散歩してた時、私の中でなぜか強くウィリアムのことが思い出されていました。

そして、昔、美術の仕事をしていた時には年中行っていたのですが、今は逆に近すぎて、いつでも行けると思って行かないマニール美術館に、たまたま、本当にたっまたま、「マニールの中に入ろうか」と、ふと夫に言ったのです。

その時(ウィリアム、ウィリアム、ウィリアム・・)と、彼の存在をとっても強く感じていて、ミュージアムの中に入る前に入り口のところで、私は夫に言いました。

「この中にウィリアムがいるから。ここで今日ウィリアムに会うから」って。I think… そういう気がする、じゃなくてWe will see William. って断言したのです。

というのは、私の中で確信していたので、それを夫に言うことで証明したかったのです。だって後から、「実はそんな気がしてたんだ」って言っても、ウソだろ?って思うでしょ。夫にそう思われるだけじゃなく、きっと自分自身でも(まぐれだった)と思うと思ったの。

マニールの作りってエントランスが真ん中にあって、中に入ると左右に分かれています。一瞬(どっちから先に行こうか)迷いましたが、足が勝手に左側の館の方向に
向いたので、まずは左側の一つ目の部屋のマグリッドだとか、ダリだとかの、シュールリアリズムの展示は・・・ もう何十回も見たからパスして

で、その次の大きな部屋は常設の部屋で、数点見たことがないイブ・クラインの作品に・・ 結構つまらな〜い(昔はイブ・クラインっていったら憧れだったのになぁ)なんて思ったりしながら、その部屋を出て、でもって、その時にはウィリアムのことは、すっかり頭になく、美術館でのひと時を楽しいんでいました。

そして建物の右側の展示に向かうために、夫と廊下を歩いていると・・・

「ウィリアムっ!」

横を見ると、夫が(ひ〜っ)って首を引いて目を丸くしています。(ウィリアムは幽霊じゃないんだから〜)ウィリアムは、私が彼がここに居る事を予知していたと知らないので、別にすっごくビックリした風ではありませんでしたが、夫が「実はこの建物に入る前、ユキコがここであなたに会うからって言ってたんですよ」とウィリアムに言いました。

彼はそれでも全然ビックリしている風ではなく「ああ、そう、じゃあ波動が同じなんだね」なんて飄々としている・・

この時、何年も前に、ウィリアムの家のチベット風の修行部屋で、彼がお線香を焚いてチベット語でお経を唱えて、私は冷たい床におでこをつけさせられた記憶が蘇ってきました。

しかし当時は、(なんでこんなことをやらされているのだろう)(けったいなおっさんやなあ ←なぜか急に関西弁)なんて思っていたの。今でも、お線香臭くて、床が冷たくて、曼荼羅があって、結構怖い・・なんていう印象しか、その時の記憶はありません。

ウィリアムは外見は背の高い西洋人ですが、リチャード・ギアみたいに80年代にインドに行ってお寺に滞在し、お坊さんたちをサポートする活動をしている仏教徒だったのです。インドといってもチベットのお寺が避難した場所です。

でも彼は現実には芸術家として生きることが、今生での修行ということで、芸術を通じて彼にできる、世のためになる活動をしているのだと思います。

たぶん、そう。

 
ウィリアムは私に色々なことを見せてくれましたが、語る人ではありません。なので、私は彼が見せてくれたことから、推測しているにすぎませんが、説法されるよりも、彼が見せてくれた様々な世界の方が、私にとっては確かな学びとなっていたことに、後になって気づきました。

当時ヒューストンの美術界では、ウィリアムはとっても有名人だったのですが、私はなぜか彼にかわいがられて(そうなの、かわいい性格してるから ぷぷっ)彼は私を色々なところに連れて行ってくれ、色々なものを見せてくれ、色々な人たちに引き合わせてくれました。

不思議と私の過去には、何人かこういう人がいて、例えば20歳そこそこの時は、カソリックの神父さんが、このウィリアムのようにスピリチュアルの教育をしてくれました。

その神父さんも、語ることで教えてくれたワケでなく、行動で見せてくれました。しかし、教会に行ったり、お寺に行ったりしたことはなく、宗教団体に入ったことはないにも関わらず、私の人生にはいつもそういう人がいたのは・・なんか面白い。

画廊をオープンする時は、ウィリアムは私に壁の塗り方を教えてくれました。(画廊の壁って、真っ白できれいじゃないといけないの)でも教えてくれたのは、今考えるとペンキの塗り方ではありませんでした。彼は壁を塗る作業で、動きながら瞑想する方法を私に見せてくれていたのです。

ペンキを一滴も床に垂らさず、手を全く汚さず、彼は画廊の壁を塗るのに、きちんとしたジャケットを着たまま、静かにきれいに確かに動いていました。その後は彼の知り合いで、私などとても知り合いになれそうにない超有名な金持ちのコレクターとか(ちょっとやそっとの金持ち度ではない)全国的に有名な芸術家とか、美術館の伝説のキューレーターとか・・

このキューレーターのおじいちゃんは自分の講演に大幅に遅刻したり、有名な美術館で絵を盗んで、セキュリティーの甘さを指摘したりと本当に伝説のキューレーターなんです。で、この人が私のギャラリーから作品を買ってくれた。

今考えると自分でも信じられません。一体どうやってやっていけたのだろう?しかも、その頃の私のアシスタントは、脛毛のある筋肉質のおかまちゃんでした。元の名はロバートですが、女性名でロベルタでした。もう一捻りしてくれよ。。。

ウィリアムの助けもあり一度など、展覧会のオープニングに400人くらいの人が来たこともあります。それは、彼が知り合いの新聞記者に紹介してくれて、記事として取り上げられたからです。

うちの子はその時に、来ているお客さんの腿に次々と噛み付いていました。しかも、夫が仕事でいなかったので、そんな野生児をパーティーの時に野放し状態です。息子が4歳の時です。今考えると恐ろしい話です。

 
ああ、だんだん思い出してきましたが、私ったらウィリアムに随分お世話になってたんだ。すっかり忘れていただよ。。。

さて、冒頭の話に戻ります。

やっと、戻ります。

随分とひっぱってしまったのですが、こんなこと書くつもりなかったのだけど
止まらなくなっちゃったのよん。ごめんねえ〜

「心配してもしなくても同じだから。なるようにしかならないから。」これは予知の件があって、言葉だけじゃなく、本当にそう思うようになりました。

この長いお話で言いたかったこととは、ウィリアムがどんな人か、ではなく、また、私が予知できからすごい、とかでもなく、これから書くことがホントに言いたかったことです。

ウィリアムに会うことを予知できたことで思ったことは、私たちのやることは、すでに決められているのだろうか?ということです。

たまたま、いつもとは違う散歩コースに行ってみることにした、たまたま出かける間際に電話がかかってきて、その時間じゃないと外に行けなくなった、たまたまマニールに入ってみようと思った、などなど、たまたまだと思っていることの連続があったワケですが、でもそこで、予知した誰かに会ったということは、それはたまたま会ったワケではない。

予知してたのだから、たまたまじゃないですよね?

まるでそうなるために逆算して、様々なたまたまが起こっていたと考えても不思議じゃないくらい、とても精巧にプランされていなければ、その時間にニューヨークに住んでいるウィリアムに、バッタリ会うことなんてなかった。それは、このことに限ったことではなく、全てのことに当てはまるのではないでしょうか?

私たちの人生とは・・私たちの運命とは、すでに決められているのでしょうか?

でも、なんかね、その答えは知らなくていいような気がします。というか、その答えを知る運命を持つ、一部の人しか知らない方がいいと思います。

なぜなら、私たちは生きているから。生きなきゃいけないから。なんで生きなきゃいけないのか?その答えもいらないじゃん、べつに。その答えを知ることは、禁断の場所に足を踏み入れるような気がするから。

でも、決められた運命を生きる。それが苦しくても幸福でも、生きる。

山があったり坂があったりするけど、それも避けられない運命だとしたら、その運命をコントロールしようなどとせず、運命に逆らおうとせず、与えられた運命を享受して生きる。

決められた運命があると思うのは、決して諦めの気持ちではありません。あくまでも享受するのです。つまり、一方的に与えられて仕方なく受け止めるのではなく、運命を自分のものとして素直に受け入れ、そして、自分のものとして楽しむこと。

毎日の出来事すべては、今しか起こらないことであり、運命とは、人間が計算するよりはるかに精巧にできたものと受け入れ、その一瞬一瞬に感謝の気持ちを持って、その一瞬一瞬をいいとか悪いとか、幸福だとか不幸だとか、ラッキーだとかアンラッキーだとかジャッジせず、そのままをそのままに素直に受け入れ、明からも暗からも何かを学んで、ただ向上するのみと思えれば、人生が楽しくなるのではないでしょうか。

どんなに小さなことも運命だとしたら、自分の子どもが私たちの元に来てくれたのは、それはもう、運命の他のなにものでもありません。そう考えたら子育てしている毎日のこの時にしかない一瞬一瞬は、二度と戻らないチャンスだと思いませんか?

それが辛くても楽しくても、明でも暗でも、今この時はもう戻らない貴重な一瞬。

そのように心から思えたら、、、たった今、目の前で床におしっこをしてくれた子どもを愛しむ気持ちになりません?

私の場合は、反抗する息子がなんともありがたく思え、何があっても今ここにいて生きている喜びを 感謝の気持ちを持って噛み締めたいと思うのです。

今この時は今しかなくて、もう二度と戻ってこないから。心配してもしなくても、人生は成るようにしかならないのです。

なので、できることは今あることに感謝して、良くも悪くもジャッジせず、何があっても生きて、学んで向上するのみです。

マミ〜ことランディー由紀子より

P.S.
そうそう、重要なことです。長いけどコレ、すっごい長いけどコレ。
http://www.eigobon.com/childrensuniversity/

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